プロフィール

初めまして!詳細プロフィールを開いていただきありがとうございます。

サイトの管理人、「ぶな しめじ」と申します。

 

このページでは、ぶなしめじとは、どんな人物なのかということを紹介していきます。

 

九州の端、長崎県の中でも県庁所在地の長崎市にて生まれ、30年以上を生きてきました。
海も身近なので、素潜りや磯遊びもします。

 

1989年の平成元年生まれです。
学年的には、昭和63年、昭和64年、平成元年が入り乱れている学年でもありました。

 

父はサラリーマン、母は洋服屋の自営業の共働きでしたので、鍵っ子として生活。
・・・・鍵っ子といっても、鍵はほぼかけてないような田舎でしたが。

 

8歳差の弟がいて、途中まで一人っ子として甘やかされてた長女です。

 

弟が生まれる前から両親は仲が悪く私が見ている前で父が母を殴ったり、ものすごい勢いの口喧嘩を目撃してました。

 

小学2年生の頃に保育園からすごしていた地元から転校することになったんですけど、その時に悲しくて泣いていた私に言った母の言葉

 

「そんなことくらいで泣かないの!友達くらい次のところで作れるでしょう」

 

大人になっても、この人はなんて事を言ってるんだ?とちょっと疑問に感じます。

 

弟が生まれるくらいまでは、母の事業がうまくいってたので、年に1回の家族旅行、週に1回の外食などちょっと贅沢をしつつそれなりの家庭で育ってきました。

 

小学校高学年になると、母の事業が経営悪化して、両親の仲も比例して悪くなっていきました。

結局、事業のことや父との実家のことで母はうつ病になりました。

 

 

父はうつ病になった母のことを
「うつ病なんて心が弱いやつがなる病気だ!もっと頑張れば治るんだろう!」と言ってました・・・・。

 

わが父ながら、病人になんてことを言ってるんだと思いました。

うつ病の一つの原因には、父の浮気もあったんですが、どう思っていたんでしょうか?

 

中学に上がると母は別居になり、私が祖母(父の母)、父、弟、私の家事を一手に引き受けてました。
小学生の頃から帰宅が22時すぎが通常だったので、両親に代わって弟の保育園へお迎え→炊事というのが日常でした。

 

両親の不仲を私に八つ当たりをされていました。
小学生の頃からだったんですが、両親は虫の居所が悪いと【しつけ】と言われて手を挙げられていました。

八つ下の弟はそんなこともなかったんですが、痛かったですね。

 

虐待まではいかないですけど、お皿をさげていなかったとか、洗濯物を取り込んでいなかったとかそういった小さなことをしていなかったら、平手で打たれていました。

 

そんなこともあって「大人って信用できないんじゃね・・・?自分でなんとかしていかないと!(`・ω・´)ゞ」と思ってました。

 

中学の最後には両親が離婚し、母は破産申告&生活保護の受給をうけていました。

 

高校受験の時には父から
「我が家には私立に進学したときの学費がない。お前が私立に進学してしまうと一家心中するしかい」
と言われ、近所の公立のの商業高校へ進学。
高校生活は相変わらずでしたが、バイト代を母に金の無心で奪われてました。

 

高校卒業すると父が再婚。

 

相手が父の幼馴染で、地元も一緒。そして私と同い年の息子がいる女性だったんです。

ということは・・・・・

中学の同級生が兄弟になるってこと!??

 

えっ・・・・誰?
同級生って誰なんですかね???

 

聞いてみると元サッカー部の彼は、私とは同じクラスになったこともなく。
お互い名前は知ってるけど、普段なら全く仲良くなれなさそうなタイプですし、実際今でも打ち解けられません。

 

高校卒業してからは大学進学の資金がないと言われていたので就職の道へ。
ブラック企業に正社員として勤めました。

 

事務職にて就職しましたがタイムカードなし。

求人には8:00-17:00の就業時間と書いてありましたが、実際は7:30-19:00が基本。
残業は日付を超える直前までということも度々ありました。
月収は手取りで10万弱ですよ・・・!?

 

 

ミスをするたびに
「お前が出した損害がいくらになったのか、反省文を翌日までに5枚書いてこい」
と言われ、翌日書いていくと朝礼の場にて音読させられるというパワハラ( ;´Д`)

 

半年で私自身、頭がおかしくなっていたのか当時から付き合っていた旦那に

「いちど、病院にいこう」
と心療内科に連れていかれ、なし崩しに退職。

 

 

その後、ニート期間が少しあったり、フリーターとして過ごし医療事務の資格を取得しました。
学費については、未成年だったためローンを組むのに親の了承が必要だったんですよねー。

 

相談してみると実父からは
「お前まで、母親と同じような金食い虫になるつもりか!」
と詰められましたが、なんとか説得し自分自身でバイトで稼ぎつつ返済しました(`・ω・´)

 

小さな病院の医療事務の正社員として働いていましたが、最初のブラックほどではありませんでした残業あり。

 

院長夫人からのいびりも大変でした”笑
「あなたの顔が、ダメなのよね」とかですね。

 

ちなみに同期からもあたりが強かったです。
「〇〇さんのそういうところが嫌いなんですよ!!」とかですねー。

 

就職についての失敗はこんなもんですかねー?

 

 

ただ高校卒業後から結婚するまで実母から金の無心があってたんですよねー。
いや・・・まあ高校時代もされてましたけど。

 

実母は事業に失敗し、自己破産したうえ生活保護をうけています。
そのくせに、たばこ、酒、パチンコをやめられず、贅沢していたころのようにお金を使っていきます。

 

「この人は、私の母親だから」
「いつかは私の言うことを聞いてくれる」
「いつかはこの人を更生させることができるはず」

 

と思いながら、バイト代が月7万だったうち月2万以上は渡していました。
ちなみに家賃が3万でした(-_-;)

 

残り2万で食いつなぐために極貧生活を味わったんですよー。

すごかったですよー。
しかもそんな中で冷蔵庫壊れちゃったし”笑

 

大根ご飯とか炊いたりしてます?

 

ジャガイモを焼肉のたれで炒めて
「これはお肉!お肉おーーーいしい♪」

なんて言いながら食べたことあります?

 

2日の食事が食パン1枚とか経験したことあります?

 

冬場に赤さびが含まれた水道水だけの食事ってしたことあります?

 

・・・・こうやって文字にするとすごいですね。

携帯代も自分で払ってましたし、学費もありましたので、今思い返してもどうやって生活してた??と謎が残ります。
バイト中に栄養失調で倒れたこともあります。

 

 

結婚してからも変わらず無心されていたのでこのままじゃ旦那にも迷惑がかかると思い実母と縁切り。

 

お金を貸せないことをいうと
「役に立たない子ね!」と言われました( ゚Д゚)

 

最後に会ったときに、「手切れ金として1万円だけでもちょうだい!」と言われました。

 

 

実母ながら「こいつクソ野郎だな・・・・」と思います。

 

 

まあ、その後は普通の人並みの生活だと思います。
結婚してー、子供も娘二人が生まれてー、パートで働きに出たり。

 

でも今までの人生で濃い経験を忘れられずにお金に対してちょっと恐怖があるんですよね。
マイホーム持ってますけど、ローンあるし・・・。借金じゃん!

 

ゲームだってしたいし、買いたいアニメもある!
家族で旅行にいきたいし、焼肉もたくさん食べに行きたいよーー!

 

いろいろしたいことがあって、子供たちにもいろんな経験をさせてあげたいと思った時にどうしても必要なお金はあると思うんです。

 

でも節約したところで出てくるお金って結局、貯蓄ですよね。
好きに使えるものではないし、そもそも金額も微々たるもの。

 

パートに出てわかったんですけど、人の視線を気にしながら仕事をすることが苦痛なんですよね。

そんな私は家にいながらお金を稼げる方法として在宅ライターを頑張っていきます。